2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧
メールも、mixiも、 なんならケータイも無くても、 それでも繋がっている間柄。
「プライド」って言葉を口にする奴にかぎって、 プライドなんか持ち合わせちゃいない。
「コンセプト」って言葉、もう使うのやめようぜ。
忙しそうにしているときに限って、 生産性は意外なほど低いものだ。
見て分からなければ、 言っても分からない。
満腹すぎて苦しいというのは、 なんて馬鹿げたことだろうか。
例え話をしすぎて、本当に話したかったことを忘れてしまった。
インターネットが普及する以前、 人々の“発信したい欲望”は、 一体どうやって処理されていたんだろうか。
共感することはできなくても、理解することはできるはず。 否定も肯定も、理解のうえに成り立たねばならない。 理解できないことを理由に憎悪するから戦争がなくならないのだ。
昔々「がんばることが美徳だった時代」があった。 一昔前は「がんばることがカッコ悪かった時代」だった。 そして今は「がんばれと軽々しく口にできない時代」になった。 次はどんな時代になるんだろうか。
冴えたアイディアが頭の中に閃く気持ちよさが100だとしたら、 それが面白いように誰かに伝わる気持ちよさは、たぶん10000ぐらいだと思う。
劣等感が強い人間ほど、優越感も強い。
「悪い人じゃないんだけどね」という言葉は、 他に美点がない場合における人物評の最後の砦だ。
詩が誰かを救う可能性はあるかもしれないが、 誰かを救うために詩を書くのは何かおかしい。
詩は目的ではなく手段だ。 詩を書こうとして書くのではなく、 詩で書こうとするべきなのだ。
詩と“私”を切り離せ。
「詩とは何か」という 定義付けを行うことこそが、 詩からもっとも遠い行為である。
詩とは“詩ではないもの以外のすべて”である。
コンビニエンス=スポイル。
記憶を蘇らせる最強のスイッチは、たぶん匂いだ。
記憶から「感情」を抜き取ると、記録になる。 写真やビデオは過去の記録に過ぎないが、 それによってさまざまな感情が呼び覚まされ、 単なる記録が記憶として心に焼き付けられる。
「忘れてしまいたいこと」の多くは、 「忘れてほしいこと」だったりする。
アイデンティティの本質は、記憶である。
ほんとうに好きな人の顔は、 どうして上手く思い出せないんだろう。
傷つきやすい人ほど、 自分が他人を傷つけていることには 意外なほど無頓着だ。
相手を理解することに必死になっている人は、 相手に理解されるための努力を忘れている。 相手に理解されることに必死になっている人は、 相手を理解するための努力を忘れている。
「深呼吸する言葉ネットワーク」に参加することにしました。 なに、それ?という人は、橘川幸夫さんの『深呼吸宣言』を読んでみてください。 こっちの『深呼吸宣言0804別バージョン』でもよいです。このブログは、大覚アキラの個人的な呟きブログとして…